色眼鏡を楽しむ
職場では、中間管理職的な立ち位置にいるのもあって、「仕事仲間とは仲良くなってもオトモダチにはならない」という一線を引いたスタイルを保ちつつ、「悪い人じゃないけど、ちょっと浮いてる変な人」というポジションでわりとのびのび働いている。
そのせいか、色んな立場の人から様々なお悩み相談や愚痴の聞き役に回ることが多い。
同じ事柄を体験していても、Aさんから見た場合とBさんから見た場合では、全く別の解釈をしていることも珍しくない。
そんなとき、AさんからもBさんからも話を聞いて、どちらにも共感を示したり改善策を考えたりしていると、罪悪感に苛まれることがあった。
私がやっていることは、ただの八方美人なんじゃないだろうか。
自分の意見がないから、あちこちでの人の話に振り回されるんじゃないだろうか。
でも実際は、傾聴の勉強から学んだ「自分と他人のフィルターを分けて、人の話を聴くときはそのフィルター越しに物事を見る」という技術を実践しているに過ぎない。
その人の色眼鏡越しの世界を一緒に眺めつつ、自分の色眼鏡はすぐ隣にあるような状態。
「自分の立場だったらこう思うんだけどなぁ。」という考えは持っていたりする。
ただ、それをすぐに直接本人に伝えるかは別なだけで。
「アドバイスの価値=内容の整合性+相手への信頼度+自分の余裕」という持論に従って、伝える内容やタイミングや言い方なんかを考えたいと思っている。
フィルターや色眼鏡といったポジショントークは結構嫌われることの方が多いけれど、人は結局その人が見聞きしたり経験したことでしか物事を語れないと思う。
そして私は、そのポジションにおける背景とか心情を類推することがわりと好きだったりする。
自分にはない色眼鏡越しの世界を楽しめるようになると、世界はもっと広がるんじゃないかと思ってはいるんだけど。
本人にとっては深刻な状況だったりもするから、楽しいとか面白いといった感情は不適切なのかもしれない。
自分の色眼鏡のしょうもなさに気付いてガッカリすることだってたくさんある。
本当は、色眼鏡を愛するとか慈しむという領域に達することができたら良いんだけど、マウンティングされてイラッとすることもあるから、そんなに徳を積める自信は正直ない。
だけど、お互いの色眼鏡を認める余裕がほんのちょっとでもあれば、少なくとも自分にとってはプラスになるのかなと思いたい。