ぼんにゃん日記

ぼんやりタイムに考えたことを綴るサブブログ

感情と言語化能力

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Twitterで、怒りを感じたときに声を荒げるかその人を見放すか、みたいな話題があった。

 

私に関して言えば、高校時代くらいまでは声を荒げる派だったように思う。

 

典型的な学級委員長タイプで、「ちょっと男子ぃ、ちゃんと掃除しなさいよ!」みたいな感じ。

 

大学時代は、見放しタイプ。

 

恋人や友人と喧嘩すると、「こいつとは何もしゃべりたくねぇ…。」と思ってだんまりを決め込んでいた。

 

今でも、声を荒げるまではいかなくてもちょっとドスの効いた声を出してしまうこともあるし、苦手な人とは距離を置くこともある。

 

でも、理想的には「自分の感情をきちんと言語化できるようになりたい」と思っていて、このサブブログをはじめ、様々な場面で練習しようとはしている。

 

自分がどちらのタイプも経験して、かつ今までキレ派にも見捨て派にもキレ逃げ派にも出会って感じたこと。

 

どのタイプも決して良いものじゃない。

 

まずはキレ派。

人にえらそうに出てるぶん、一見頭良くて仕事できそうに見えるけど、実際は論理的に説明したり、人を思いやる能力が乏しいだけ。

それでいて、「あなたのためを思って」だの「自分に正直に生きたい」だの言って自分に酔ってたりするからタチが悪い。

 

そして、見放しタイプ。

キレ派と違って、クールに平常心を保つ自分カッコいいとか思ってたりするけれど、内心はドロドロのグチャグチャ。

自分から相手を見放した、みたいな風を装ってるけど、実際は自分の感情をコントロールしたり表現したりすることが怖かったりめんどくさかったりして逃げているだけ。

平常心が保てなくなると、すぐ現実逃避して「自然って良いよな…」とか言い出す。

 

両者が合わさったキレ逃げ派。

自分の感情だけをぶつけて、後は用無し、はいさようなら。

相手はあなたのサンドバッグではありません。

 

自分の感情の動きと、リアルで経験した範囲のことなので、他の人がどう感じているかは知らない。

自戒も込めて、厳しめな文章で書いてはいる。

 

私の人生で出会ったなかでは、怒りを感じたときにはキレたり見放したりする人がほとんどだったけど、それでもほんの数人だけ、言葉を尽くして想いを伝えようとする人たちがいた。

 

もちろん人間だから、裏でこっそり怒ったり泣いたりはしている。

 

でも、どれだけ屁理屈をこねられようが不貞腐れられようが、淡々と自分の意見を言葉にする姿に心を打たれた。

 

そういうことができる能力は、年齢や学歴なんかよりもずっと素晴らしいことだと思う。

 

「○○はAだ」という意見にもやもやしたときは、「違う、Aじゃない!」と怒鳴るよりも、「Aとか言ってる奴とは仲良くなれない」と距離を置くよりも、「私は○○はBだと思います。」ときちんと言葉にして言えるようになりたい。