お金と労働に対する考え方
ここ数日、自分のお金や働き方に対する価値観が古いのだろうかとずっと考えていたのだけれど。
基本的に「人からお金を貰うからにはその分野に対して、圧倒的な熱量と知識があるんだろうな?」という考えなので、例え少額でも自分以下のしょぼい知識しかなかったらガッカリするし、応援という意味でのお金やモノを金額でしか見ていなくて「月〇万ゲット!」とか言われても信頼は減るな。
— にゃんす (@nyansu_nyan) 2018年8月26日
専門知識にしろ、ちょっとした日常に華を添える程度の文章にしろ、何かへの支援にしろ、「この人にだったらお金を出してもいい」って言う信頼や期待を寄せているわけで。
それを蔑ろにするような言動で返されると、失望するよなって思ったり。
私の場合、本業が知識よりも技術よりも信頼がベースとなるお仕事で、その怖さを身をもって知っているというのもあるかもしれない。
— にゃんす (@nyansu_nyan) 2018年8月26日
評価経済の"評価"に応え続けるのってそんなに簡単なことじゃないよ。
別に知識や技術を軽視してるわけじゃなくて、それらも含めた「この人になら任せられる」っていう信頼感を築いたり、継続していくのがいかに重要で大変なことか、日々実感している。
常に相手の期待や信頼に応えようとしているし、そのためにあらゆる分野においての勉強を続けている。
たとえ数百円しか頂かないときでも全力で仕事する。
自分の稼ぎ方にこだわりがあるからこそ、人のお金を簡単に搾取しようと考えている人に苛立ちを覚えるんですよね。
— にゃんす (@nyansu_nyan) 2018年8月30日
貴方にとってはただのお金かもしれないけど、それは私が色々な想いを抱えながら仕事して得た対価やぞ、と。お前に私の労働と同じだけの価値があるのか、なめんじゃねぇと思う。
たぶん私の労働に関する考え方は、人にも自分にも厳しいんだと思う。
でもそれは、「お金は苦労して働いて得るもの」とか考えているわけでもなく、「ワクワクするものにお金を払う」文化を否定しているわけでもない。
たとえば、私は3年以上ブログをやっているわりには、パソコンを持っていないんだけど。
そこで、もっとブログを充実させるためにパソコン欲しいなー、せっかくだから読者を巻き込んで面白いことやりたいなー、と思ったとする。
そういうとき、私なら何をやるんだろう?
もしそのパソコンが10万円するとしよう。
そしたら、節約でも投資でも短期バイトでも何でもいいから、全力で手当たり次第チャレンジしてみる。
そしてその体験記を面白おかしく書いて、読者を笑わせたりお役立ち情報を伝えたりしようとするかな。
たとえ少額でも援助を願うのであれば、なおさら質をあげる努力をする。
もしくは、誰かに背中を押してもらいたいのならば、そのパソコンが手に入ったら自分がどんなことが出来るか、何をやりたいか夢を全力で語り、応援してくれた人には全力で応えようとする。
それが私の思う、ファンベースでの評価経済。
「お客様は神様だ」とは思わないけど、お金の裏側にある想いには真摯に向き合わなければならないと考えている。