与え上手と受け取り下手
誰かにプレゼントを頂いたり、ご飯を奢ってもらったりすることが少し苦手だった。
嬉しいとは思うのだが、それよりもソワソワして落ち着かない、という気分のほうが勝ってしまう。
なんでかなぁと原因を考えたときに、思い当たったのが「私なんかがこのようなものを受け取って良いはずがない」という自己肯定感の低さと、「相手が望むような立ち居振る舞いをしなければ」という妙なプレッシャーだった。
例えば、上司や微妙な関係の男性に食事をご馳走になるとき。
注文するものは、高すぎても安すぎても良くない。
食べるスピードも速くても遅くてもダメ。
会話は笑顔で聴き役に徹する。
お会計のときは更に気を遣う。
席を外したりして、あえて金額を見ないようにしたほうが良い場合。
うしろでお財布を準備しておいたほうが良い場合。
端数だけをサッと出したほうが良い場合。
お礼の言い方も様々。
言葉だけで済ませるにしても、申し訳なさそうにするのか、無邪気に喜ぶのか。
後日あらためてお礼を言ったほうがいいのか。その場合は、帰宅直後か翌日か。
そのときは軽いプレゼントも一緒に渡したほうが良いのか。
こんなことを相手とお店に合わせてぐるぐる考えてしまう。
相手が求めているであろうリアクションを取るのも疲れるし、上手く出来なくてもそれはそれで自己嫌悪に陥る。
それならもういっそのこと、自分のお金で好きなものを好きなだけ食べさせてくれよ、と思う。
要するに、「笑顔でありがとうって受け取る」だけのことが非常に下手くそなのである。
しかし、これってもったいない。
元々は、与える側も受け取る側も相手に喜んで欲しいためにとった行動なのに、結局は無駄なことにエネルギーを費やして疲れてしまう。
どうにかして受け取り力を鍛えたいと思った。
そうして、色んな人を観察してみたり、人に何かをお願いしてやってもらう練習をしてみたり、エステやホテル、乗り物等でお金を出して上質なサービスを受けたりしてみた。
でも、なんかしっくり来ない。
それはそれで良い経験をしたとは思うのだが、だからといって自分の中で何か変わったような気はしない。
ならば、与えるほうを上手になってみようと思った。
心から応援やお祝いしたいと思えるような人たちに対してエネルギーを傾ける。
その形は言葉だけのときもあれば、クラウドファンディングやAmazon欲しいものリストなどのお金やモノのときもあり、ただ見守るだけのときもある。
無理して人から何かを受け取ろうとしていたときより、好きな人たちの夢を応援したり、心から祝福しているときのほうが何倍も楽しい。
好きな人たちが前向きに何かに取り組んでいたり、幸せそうにしているのを見るのは本当に嬉しいし、それを喜べる自分で良かったなと思う。
不思議なことに、そうしていると思わぬ方向から幸運がやって来たりして、意外とすんなり受け取れるようになってきた。
受け取り方が下手ならば、与え方を上手くなってみる。
自己犠牲的に何にでも誰にでも奉仕するのではなく、本当に、心から幸福を願う相手に対して、できること・やりたいと思うことを実行していくことが、こんなにも満たされることだとは知らなかった。