それは誰の物語なのか
自分が伝えたい言葉と、相手が受け取った言葉の意味が違っててモヤモヤすることがある。
また、逆に自分が受け手に回った場合、相手の伝えたい内容とは直接関係のない自分の考えや経験をつい話したくなってしまうこともある。
どちらも「自分の考えを分かって欲しい」と思ってつい熱弁しがちなんだけど、あとになって、自分本位に意見を押しつけてしまったと後悔する。
自分の考えを持つ、ということは悪いことではない。
しかし、それが本当に「いま」「その人に」「伝えたい内容」なのかはまた別の話だ。
だから最近は、「それが誰の物語なのか」を意識するようにしている。
たとえ言葉の受け取り方がちょっと違っていたとしても、自分や周りに被害が及ぶわけでもなく、「その人の物語」を構成する上でその方が都合が良いのであれば、目くじらを立てる必要はない。
賛否関わらず、「その人の物語」を進めていく上で、自分の考えや経験を今伝えることが本当に必要なのかを考えると、ちょっとズレてるんじゃないかなと思って修正することができる。
その一方で、「自分の物語は自分で書く」という気持ちを持つことが非常に大事だと思う。
魅力的な人物や文章に出会うと、つい「物語の研究家」や「物語をコピーすること」に夢中になってしまいがちだ。
人に影響されて、まずは真似るとこから入るのは良いんだけど、「自分の物語」に沿った形に書き換えていかないと、結局は一時的なブームで終わってしまう。
単にマイブームが過ぎるだけならともかく、その過程で大事なものを失ったり、それを影響を受けた人のせいにして非難したりさえすることだってある。
「それは誰の物語?」
自分の意見を主張したくなったとき。
人の意見に流されてそうになったとき。
この質問を繰り返し自分に問うことで、本当の自分の人生を自分で生きられるようになりたい。