自分を責めないために
原因は色々あるけれど、ついつい自分に対して否定的な言葉を投げつけてしまうことがある。
そんなときはどうすれば良いのか、考えてみた。
・傷ついている本当の原因を知る
例えば、私の場合だと仕事に関して、世間のイメージよりは薄給・休みが少ない・あまりキレイな仕事内容ではないことにモヤモヤしたりする。
でも、本当に嫌なのは実際の給与額や労働日数、汚物や臓器や寄生虫を扱うことではない。
私が傷ついているのは、
職業を明かしただけで初対面の人からお金をせびられたり、ヒモを志願されたり、実際の給与額を聞いてがっかりされたりすること。
弾丸旅行をしたり、強行スケジュールで何かをやろうとすると、旅先で出会った人や相談した相手から「そんなんじゃ楽しめない」などと説教されること。
手術の話とか聞きたがるくせに、実際に話すと気持ち悪い人として見られること。
これって本当に私が悪いせいなのだろうか?
もし私のせいだとしても、いくら所得や休みを増やして、表面的なキレイさを取り繕っても、このモヤモヤは消えないと思う。
傷ついていることと、本当の理由が違えば正しい解決法など出るわけがない。
・第三者の視点で共感を示す
本当の原因が分かったら、それを他人事として捉えてみる。
もし、滅多に異性との交流がない友達が合コンで露骨にATM扱いされたら?
もし、激務の友達がやっと取れたお休みに、ずっと楽しみにしていたところへお出かけして、そこで働き方や生き方についてダメ出しされまくったら?
もし、介護や育児や医療に関わる友達が、「いや、汚物にさわる人はちょっとww」みたいな嘲笑を受けていたら?
少なくとも、その人自身を責めたりはしない。
自分を責めがちな人って、なぜか嫌なことをしてくる人を責めたり嫌いになることができない。
普通なら「何あいつ!二度と関わらんとこ!ぷんぷん!」で終了するところを、「そっか…そうだよね…うん、ごめん…」みたいに、妙に素直に納得してしまう。
もしくは、主語がやたら大きくなって、「どうせ○○なんて関わっても良いことなんてない!」となるか。
一度、視点を引いて、他人事として怒りや悲しみを共有する気持ちになると、案外冷静になれたりする。
・自分の人生に自信や誇りを持つこと≠他人の言葉に耳を傾けなくなること
自信がないから、人から言われることにいちいち動揺してしまうんだと思ってた。
だから、そんな自分が許せなかった。
でも、何を言われても落ち込まない人がえらいんじゃない。
誰かに指摘されたことを反省して、改善しようとすることで得られるものもたくさんある。
それができるのも立派な資質のひとつ。
どんなに凹んでも悩んでも、いつかは立ち上がるために、無駄に自分を追い詰めることなく、冷静に原因を考え、客観的に分析し、改善点には全力で取り組みたい。