スッキリした生活とずぼらの自覚
近々遠くへ引っ越す知人の部屋へ、片付けの手伝いに行った。
もう引越しまで残りわずかだというのに、あまりのモノの多さにびっくり。
とりあえず、要不要の判断が他人でもできる消耗品の類から整理していくことに。
一人暮らしなのに、予備のレトルトカレーどんだけあんねん!
これ3年前に賞味期限切れとるやないかい!
おそらくこちらに引っ越しした当初から特売日の度に買い込んではそのまま使うことなくストックしていたのだろう。
気のおけない間柄の家主にツッコミを入れながら、使えそうなものは引き取り、明らかにヤバそうなものはどんどん処分。
この人ってこんなにだらしない性格だったっけ?
でも、普段は外から見える部分はきちんと整理整頓されているし、モノや時間の管理も私より遥かにしっかりしている。
どうしてこんなことになったのだろう?
誤解を恐れずに言うと、私を含め、スッキリした部屋で暮らしているミニマリストたちにはちょっと残念な人達が多い。
というか、残念な自分を自覚している人が多いのだ。
片付けが苦手、多くのモノの把握ができない、きっちり整理整頓しても長続きしない…そんな自覚があるからこそ、管理できる程度にモノを減らし、日頃から楽に整理できるシステムを作っている。
「スッキリした生活に憧れるけど、なんかごちゃごちゃする…」という人は、まず自分がずぼらだということを認めた上で、じゃあどうすれば楽になれるかを考えてみてはどうだろう。
私は「本気出せばきれいに収納できるはず!」と思い込んでいるタイプだったけど、よく考えたら本気出さないときれいにならない時点で片付けに向いてないし、そもそも滅多に本気出さないずぼらだったから、モノを減らした生活のほうが快適だった。
別にずぼらだからと言って特に悲観することはない。
ずぼらの自覚ゆえに出来ることもある。
めんどくさいことはいかに効率よく楽にできるかを考えるので、結果として周りにも貢献できていたりする。
先ほどの大量に引き取った消耗品は、さらに別の知人の手に渡ったり、自分で新たな時短料理の開発をしたりと大いに活用している。
モノが少ない生活こそ至高!全員そこを目指すべき!とは全く思わない。
でも、今よりもっと楽に楽しく生きる方法の一つとして、自分のずぼらさに開き直って、スッキリするのも悪くはない。