めんどくさいが消えるとき
「えーやだ。めんどくさい。」
昔はよく口にしていた言葉。
非効率な仕事も、煩わしい人間関係も、義務感から渋々やる家事や身だしなみも、全てが面倒で仕方がなかった。
合理的なミニマリストと言えば聞こえはいいかもしれない。
面倒くさがりだからこそ、無駄な時間やモノを減らすことにあまり躊躇がなく、その結果好きなものに費やすエネルギーを持てている部分もある。
しかし、その一方で損している部分もあるんじゃないかと思った。
自分の中からもう少しめんどくさいという感情を手放してみたい。
めんどくささを手放す方法で、最も効果があるのは、「デメリットを遥かに上回るメリットがある」と脳に信じ込ませることだと思う。
たとえばこちらのご飯。
玄米も干物も、一人暮らしを始めた頃はめんどくさくて手をつけたくなかった。
それが、時が経ち、仕事に行くようになり、食べものと自分のコンディションとの関係に興味を持つようになってから、意識が変わった。
パンや白米より、玄米を食べたときのほうが頭と身体の動きが良い。
ちなみに玄米は鍋で炊いているが、これもタイマー機能ができないというデメリットより、鍋で炊く美味しさや手入れの楽さというメリットが上回ったからだ。
干物も、高いし焼くの面倒だしと思っていたが、探せば意外と1枚100円くらいで売っていたり、アルミホイルを敷くと簡単に調理ができると知ってからは、しょっちゅう食べるようになった。
五本指ソックス。
実は15年くらい前から挑戦と挫折を繰り返していたが、最近はむしろ普通の靴下を履くとなんだか落ち着かない。
昔より種類が豊富になってきて、しっくりくるものが見つけやすくなってきたというのもあるが、立ち仕事ゆえに冷えや浮腫みに敏感になったからというのが大きい。
ずぼらで面倒くさがりで何もしたくなかった私が、今では毎朝日記を書き、鍋で玄米を炊き、五本指靴下を履き、以前よりは見た目を気にかけるようになった。
何かに追い詰められたように、すごく頑張らなきゃと思ってやっていたら、おそらく長くは続かなかっただろう。
めんどくさいからやりたくない。もっと簡単に楽に暮らしたい。
そこから生まれる創意工夫も好き。
でも、めんどくさいを上回る楽しさや面白さを見つける好奇心は忘れないようにしたい。