旅は現実逃避?
3年前、自分だけのためにお金や時間を使いたいと思い、ブログをはじめ、一人旅に出ることを覚えた。
仕事のため、恋人のため、親のため、誰かのために働きすぎて、自由に身動き取れない自分が嫌になっていた頃だった。
ネガティブでもポンコツでも良い。
もっと自由に、無邪気になりたい。
真面目に、不真面目やりたい。
そう願って作ったのが、「にゃんす」というキャラクターだった。
「にゃんす」でいる間は、すごく楽しかった。
平日がどんなに忙しかったり、辛いことが続いたとしても、週末にえいやっと旅に出れば全てがリセットできるような気がした。
それと同時に、「これはただ現実逃避を繰り返しているだけなんじゃないだろうか」という不安に駆られることもあった。
現実では友達もおらず、ただ毎朝バタバタと化粧もせずに出勤しては、夜遅く帰ってきてメシ・フロ・ネルだけのワープア独身アラサー女である。
そこの問題を無視したまま遊び回っているのはどうなのだろうか。
しかし、旅に出ることで色々な生き方があることを知った。
今の働き方も、住む場所も、人間関係も、世間では常識として押し付けられる価値観でさえも、別に固執する必要はないのだと思った。
色々な人と接することで、自分と合う人と合わない人、たとえ合わなくてもお互いが不快にならない距離感で接することを段々覚えてきた。
その結果、転職も引越しもしていないはずなのに、人間関係が大きく変わった。
職場内で理不尽な扱いを受けることはなくなり、好きなアニメや漫画やゲストハウスの話をして盛り上がったり、一緒に旅行に出かけたりするようになった。
それでも仕事中は「オトモダチ」として馴れ合うこともなく、時には厳しいことも言う。
前より確実に任される仕事の量は増えているはずなのに、帰宅後や休日のゆとりが増えた。
趣味にも自分を労わることにも、充分に時間をかけられていると思う。
3年前に欲しかったものが、今はほとんど手に入っている。
住む場所は特に変わっていない。
変わったのは行動範囲と視野の広さ。
全く違う世界にいるように見えても、現実はつながっていて、自分の意思で創られていく。
この前旅に出たとき、移動中のバスの中で無意識に手術のシミュレーションをしている自分がいた。
以前まで、連休を過ごすと微妙な手先の感覚が鈍ることが密かに嫌だったのだけど、今回はむしろ手術が速くなっていて、自分でもびっくりした。
「にゃんす」として過ごす私も、普段動物のお医者さんとして過ごす私も、どちらも大事な自分。
自分で選んだ世界をもっと自由に、全力で楽しもう。